孤独を紛らわすために大学に行く

「大学を創った人は大学に行っていない」

という文章をいつかどこかで見て笑ったことを思い出した。

(よくよく考えたら、大学には行っていないのだろうけれど高等教育は受けているのではないか、と思った。考えなかったことにしよう。

この言葉を思い出しては何度大学を辞めようと思ったか。

 

僕もかれこれ3年くらい大学生をやっている。

面白い?と聞かれたら"別に"と答える。

タメになる?と聞かれたら"知らない"と答える。

授業サボる?と聞かれたら"サボる"と答える。

 

僕のように大学生としてダメな部類に選別される者がいる一方で、しっかりとしたビジョンを持って学業や就職を見据えた活動を行う者がいる。

もちろん、後者の方が大学生として好ましいのかもしれない。社会的にも「理想」とされるだろう。

 

では、前者は何のために大学に来るのか。

多分、そんなことは考えていない。

 

大学に行き、サークルに入って、友達や彼氏彼女を作る。

授業中はスマホゲーマーになって、テスト開始直前には神に祈る。

バイトして海外へ行き日本では感じることのできない物や事に触れる。

 

このような学生生活の何が悪いのか。

 

残念ながら、僕はまだこの国の「最高学府」として大学が機能しているという実感は持てていない。それは僕が在籍している大学が偏差値40台、俗に言うFランだからかもしれないが。

それ故、「大学生は志を大きく持て」みたいなことを言われてもどうもしっくりこない。

 

そもそも日本の大学の多くは「目的を持たず者に支えられているのではないか」とすら思ってしまうぐらい的を外しているような気がしてしまう。

「今の大学生は勉強しない」という意見は、江戸時代から書物に書かれている「近頃の若者はなってない」という言葉と同じなのではないかな。

いつの時代もやる奴はやって、いらない奴はいらない。

そう矢沢永吉が言ったように、ダメな大学生が大半だとしても世の中は結局回っていく。

だから、デキる大学生に任せればいい。デキる大学生と自分を比べて自ら自己嫌悪に陥る必要はどこにもない。

「自己嫌悪とは自分への一種の甘え方だ。最も逆説的な自己陶酔の形式だ。」

近代日本の文芸評論を確立した小林秀雄もそう言っているんだから、酔うのは酒だけにしておこう。

 

この記事を書いている最中に思った。

なんで僕は大学に入ったのだろう?

「将来のため」と建前を並べてきたが結局は

孤独を紛らわすために、大学生になった。

ならこの際、大学は「日本で一番高いグループセラピー」と言ってしまうことにしよう。