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分業化された社会の波そして"酒"にすらも飲まれてしまうのか

この間、幼馴染と久々に会って、中華料理屋に行った。

彼は高校卒業と同時に、職人としての道を歩み始めて今年で4年目

僕の人生で、もっとも多くの時間を共にしてきた友人のひとりだ。

小さい頃から二人で色々なことを挑戦してきた。今思い返せば、僕が彼に半ば強制する形で新しいことにチャレンジさせることも多々あったが。

 

僕は高校を卒業して大学生になり、金を費やし時間を得た。

一方で、彼は職人になって時間を対価に金を稼ぎ始めた。

 

久しぶりに会ったそんな彼の顔にはアザがあった。

色々話を聞いていくと、どうやら酒の席で同僚と一悶着あったそうだ。

 

友人に久々に会うと、話のネタが有り余っていて何から話すべきか迷うのが普通だろう。

しかし、21歳の僕たちにはこれと言って特に何も話すことはなかった。

よく考えてみれば、20歳になってから友達と会うと必ず

「飲みに行こう」というノリになるな。

 

数年前は海外を回っていた旅好きな僕も現在は家にこもりがち。

職人という職柄、彼は仕事終わりや休日には酒で疲れを癒す日々。

 

「新しいことにチャレンジしないという違和感に慣れてしまったかもしれないね」

僕がそう言ったら、彼も"確かにそうだな"と答えた。

 

あっ、この感覚は、岡本太郎『自分の中に毒を持て』で書いていたことじゃないか。

 

社会の分業化された狭いシステムの中に自分をとじ込め、安全に、間違いない生き方をすることが本当であるのかどうか、若いぼくの心につきつけられた強烈な疑問だった。…「危険な道をとる」…運命を爆発させるのだ。

 

僕は酒にお金を使いすぎた後のあの虚無感を感じる理由がわかった気がした。

 

もしかしたら、僕にも今までによりもずっと多くの酒を浴びる日が来るのだろうか。

そう思うと、もっと動かなければいけないな、と感じる。

 

なんかまとまりのない、伝えたいことが曖昧な文章になってしまったから

河島英五の『酒と泪と男と女』で締めたいと思う。

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