Papa's Spaghetti

パパのスパゲッティ

社会に出ると生死の問題はいつの間に消える

生きていれば、生死について考えることはある。

 

たとえば、家族や友人などの身近な存在が亡くなった時や

自分が何かしらの病気にかかった時。

もしくは、なんの契機もなく、ただ漠然と死について考えることがあるだろう。

 

僕の場合は、小さい頃から、暇な時期が長く続くと生死などの根本的問題を考えてしまう。

そして、深く考えすぎて精神的に参ってしまうことがこれまでに幾度とあった。

 

まだ衣食住などの実存的問題を考えずに済むから、そのようなことを考える。

言葉を変えれば、生活に余裕がある。

親が仕事をしているおかげで、着る服があり、食べるご飯があり、住む家がある。

 

しかし、大人になるにつれ、生死などの根本的問題を考えない方向に意識が向いて行く。

"社会"というコミュニティーを支えるために社会人に任されているのは、「営利行為」

働かなければならない。

そして、気がつけば働くことが生きることと同義語のようになっていく。

なぜなら、人生の大半の時間を仕事に使うことになるからだ。

 

だから、哲学が社会で役に立たないのは当たり前だと言えば、当たり前かもしれない。

 

大学の哲学科で勉強し、就職し、社会人になり会社に所属する。そして、順風満帆な人生を送っている人たち。

 

彼らの心に、哲学は響いたのか。

 

最後に人は必ず死ぬ。

考えれば考えるほど、その事実は本当に虚しい。

そして、その事実に意識を向けまいと努力する態度もまた虚しい。

 

その虚しさと強烈に戦う

ミュージシャンや作家たち

人々が社会人より彼らに惹かれるのは当たり前か。