Papa's Spaghetti

パパのスパゲッティ

金では克服できない問題を前にしても働く以外に道はない

ある友人がある罪を犯した。

ひとから大切なものを奪ってしまった。

殺人ではないし犯罪の中でも罪は軽いというが、やった本人は罪悪感に潰され自ら命を絶ちたいと願っているようだ。

友人の僕が言えることは本当に何もない。

 

やったことは仕方がない。これから前を向いて償っていくしかない

とでも言うか。

確かに、人生は前向きにしか生きれないという理由で、これは合理的なアドバイスかもしれない。

しかし、このような励ましはこの状況には到底合わないだろう。

なぜなら、友人はなんとかなるだろうという前向きで楽観的な姿勢で行動に移した。

自分の選択にまったく無責任だったのだ。

もし、なんとかならないかもしれないという後ろ向きな考えが少しでもあれば、こんなことは起こりはしなかったではないろうか。

なんとかならないと分かっているが、これをやるしか道がない。この行為で起こる全ての結果は負う。

その覚悟がなければ前向きに生きたところで中途半端に終わる。

そして、結局周りにケツを拭いてもらうことになる。

 

今回、改めて深くそう感じる。

そして、お金では解決できない問題という、お金の限界を垣間見ることにもなった。

もちろん、文化的な社会でまっとうに生きていれば、死以外の問題はお金でほとんど解決し克服できてしまう。

しかし、それはほとんどで決してすべてではない。

結局、お金で解決できない問題の前ではお金は価値を持たない

あくまでお金はお金で解決してくれる問題しか扱わない専門業者だ。

 

通帳にいくらお金が入っていても銀行が閉まっていては、空に等しい。

お金で解決できない問題では、銀行は一生閉まったままの状態だ。

銀行が開く瞬間は来る日も来る日も待っている。

唯一の希望は銀行が開いてお金を引き出せる日が訪れること。

ここでいう銀行は今の友人にとっては、不幸にさせた人たちから許しを得ることだ。

許し

許しを得るためには結局働いて、悲しんでいる人のために少しでも多くお金を稼いでいかなければいけない。

たとえお金では克服することができないということを頭で理解していようとも、身体を動かしていかなくてはいけない。

 

お金に目が眩んだツケはお金に自由を縛られるロープとして返ってくる。

結局、そのようにできているのが人生であり社会。

それを使って自殺することは勝手だが、これからの命綱として行動と責任を縛って生きる選択の方が合理的だ。